地域によっては、「中陰の期間が3ヶ月に渡るとよくない」と言う考えが残っているようです。
なぜかというと、「四十九日が三ヵ月にわたると、四十九(始終苦)が三月(身に付く)」からだそうです。
満中陰を四十九日ではなく三十五日(五七日)で切り上げてしまうという迷信的名習俗が一部でまことしやかに伝わっているだけです。
迷信ですのでお寺で勧めることはありませんが一部地域では習俗として残っている地区もあります。
ただ、このことを言ったらその月の15日以降に亡くなった方は皆さん該当してしまいます。
仏教的に何の意味もありません。
月の後半に葬儀を担当すると、よくこの件についてご相談されますが、仏教的には全く意味のない迷信であることを説明して、
それでも気にかかる、または親戚に口うるさい人がいらっしゃるというような場合は、35日位で忌明けをしてもかまいません。
そうでないと、万一事故があったりした時に「ほら、三月跨ぎ(みつきまたぎ)でするから、事故をした」なんて言われのない文句を言われたりしますからね。
ただし、あるお寺様が仰るには、
「事情があって三十五日で繰り上げの満中陰法要をしたとしても、亡くなった人は49日が忌明けだから、位牌を塗に変えるのも、仏壇にお祀りするのも、49日の満中陰でないとだめですよ。」とのことでした。
納得して、正式の日に満中陰をする人もいますし、忌明けと満中陰を別にする人もいますね。
しかし、よく考えてください。
亡き人を偲ぶために勤めるはずなのに、その亡き人までも、「自分の災い(禍)の種」にしているのです。
これって悲しくないですか?仏教的になんら意味のない、単なる語呂合わせをまじめに信じているだけなのですよ。
間違ってはならないのは、亡くなった人にとっては49日は49日。短縮はできないと云う事です。
実際には、早く法要を済ませて通常の生活に戻ろうとするために考えた方便のようです。
法事は、「亡くなられた人のために勤めている」と考えがちですが、よくよく考えてみると、どこまでも自己中心的な私たちの姿に気付かせようと、亡くなられた方が用意されていた仏事であるのかもしれませんね。
ご参考までに・・・
家族葬 奈良 ESS