無宗教葬儀(自由葬:プロデュース葬)とは、特定の宗教・宗派に捉われない葬儀のことで、「僧侶・神官・牧師・神父」などの宗教者を招かずに、自由な形で行われます。
日本人は無宗教の方が多いので最近では徐々に増えてきていますが、まだまだその数は少ないのが現状です。
東京など、首都圏では葬儀全体の内、無宗教葬が占める割合は約5%ですが、全国的にみると葬儀全体の1%ほどにとどまっています。
◆無宗教葬の方法
最近では「無宗教葬の式次第」や「無宗教葬用の祭壇」を用意している葬祭業者もいます。
「無宗教葬はどうやったらいいのですか」と質問してくる方もいらっしゃいます。
どうやら、「無宗教葬」という決まった方法があるようにお考えのようです。
しかし、特定の宗教宗派の儀礼方式によらないのが無宗教葬儀ですから、決まった方式がないのです。
無宗教葬は自由に形を決めて葬儀を進行していくことが出来ますが、実際には「進め方は自由」と言われると困ってしまう方が多いのです。
そこで通常の仏式葬儀や葬場祭(神葬祭)をある程度参考にして特定の宗教色を排除した形になることが多いようです。
無宗教葬(自由葬)はその名の通り自由に演出を行うことが出来ますが、以下のような感じで行われることが多いようです。
1:前奏曲
2:献灯
3:開式の辞
4:黙祷
5:思い出(ビデオ上映や生演奏など)
6:葬送の言葉(弔辞・弔電の奉読)
7:喪主・遺族・親族・参列者の順に献花
8:遺族代表挨拶
9:閉式の辞
10:後奏曲
11:出棺前のお別れ(棺に花を手向ける)
音楽が使われるのは最近の流行でもありますが、お経の音楽性の代用という意味もあります。
5の「思い出」はビデオやスライドを用いて故人の生涯を振り返るというものですが、代わりに葬儀委員長の式辞や、司会者のナレーションで生涯を振り返ることもあります。
6の「葬送の言葉」は弔辞のことで、「弔辞」「お別れの言葉」としてもいっこうに構いません。
告別方法は、無宗教葬では献花が定番になっていますが、献花する花によっては費用がかさむので、焼香にされる場合もあります。
もちろん無宗教葬に定式はありませんから、これは一例にすぎません。
◆無宗教葬(自由葬:プロデュース葬)が増加している理由
1:宗教を持たない人が多くなった
特定の宗教を持たない人が増え、読経に対して「意味不明の言葉を長々とやって」という言葉が聞かれます。
遺族や会葬者は宗教儀礼に共鳴するものをもちえなくなっているのが現状のようです。
僧侶側にも説明する努力や個別の死者への対峙を会葬者と共に行うという努力が不足している場合が多く、せっかくの死者と対峙する時間なのに時間の無駄という反発もあるようです。
2:お寺との付き合いがなくなった
寺檀関係とは、お葬式や法事における寺と檀家の関係だけではありません。
昔は日常生活の文化の拠点的な性格が寺にはあり、これを檀家が支えていました。
これが現代では葬祭だけの繋がりだけになり、葬祭でも儀礼だけの関係になり、日常生活上の接点だけでなく、人間関係という接点も希薄になってきています。
都会に流出した人々は故郷の檀那寺と切れるだけでなく、新たに都会で檀那寺をもつことが少なくなりました。
葬式だから僧侶を招いても、どの宗派でもかまわないという場合もあります。
その時だけの係わり以上のものを期待しないからでしょう。
それなら、お葬式に宗教者は不要とする人も出てくるのは自然であると言えるかもしれません。
3:形式化した葬儀に対する疑問
これは葬儀の個性化と言われるものです。
故人の生き方にふさわしい送り方があるのではないか?
仏式の葬儀は定式化しており、故人の顔が見えない葬儀ではないか?という反発があるようです。
「自分らしい葬儀」あるいは「葬儀の自己決定」を求める結果として、日常的に特定の宗教宗派に属していない以上、宗教儀礼を求めるほうが不自然との考えの台頭です。
4:故人にふさわしい葬儀(葬式)を行いたい(葬儀に対する考え方の変化)
一昔前までは、葬儀を「死者をあの世に送るための宗教儀礼」と考える人が多かったのですが、
現在では、「故人とのお別れの儀式」であるとする考え方が増えてきています。
死に対して宗教性を必要とする環境ではなくなりつつあるのです。
このことが、例え宗教儀礼を伴ったにしても、宗教儀礼を形式と見なし、緊張感をもって行われない葬儀を多くする原因となっているのです。
こうした時代の流れから、形式的な葬儀よりも、送る側、送られる側の双方が納得するようなお葬式が増えてきたことが、
無宗教葬が増加してきている要因の一つです。
しかしながら、無宗教葬にはメリットとデメリットがあります。
次回は無宗教葬のメリットとデメリットについて説明します。
今日はこの辺で・・・
家族葬 奈良 ESS